シュリ日和

まいにちに生きる

続 随筆




以前、 ''熱海駅前 足湯にて''という随筆のような記事を上げたことがある。人生の夏休み期間に、縁あって熱海の古民家に滞在させていただいた時に書いた文章だ。実はその時もうひとつ書いていた文章があり、本棚を整理していたら出てきたので、丁度良いタイミングでもあるので、ここに書き残しておきたいと思う。



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『 会話 』


熱海滞在中に一度は行きたいと思っていた、走り湯温泉に立ち寄る。今日は天気がいい。


子どもの頃、まだ外が明るい内に入った、夏の夕方のお風呂の思い出は未だにはっきりと記憶にある。どうしてあんなにも夏の夕方に入るお風呂って気持ち良かったのだろう?学校のプールの授業のあとの気持ち良さとも似ている。外気がお風呂上がりやプール上がりの体温と近いことが気持ちよさの理由だった気もするが、どうだろう…


なんとなくそんなことを思い出しながら、女湯の引き戸を開ける。中には常連と見受けるおばあちゃまお二人が気持ち良さそうに湯を浴びていた。

風呂場中央に四角い浴槽が横並びに二つ、一方に''ぬるま湯''と書かれている。

まず、熱い方に入ってみる。確かに熱い。こっちに長くは浸かれないと判断し、早々にぬるま湯へと移動した。

ほとんど温度の差を感じなかったが、ぬるま湯に浸かっていたおばあちゃまが、熱い方に入っていたおばあちゃまへと話しかけた。

『よく入れるね、スゲー!』

スゲーという言葉のチョイスに、心の中でくすっと笑う。そして更に、心の中で言葉を付け加える。(…そんなに温度変わんないけどね。)


一緒にぬるま湯に浸かっていたおばあちゃまが私へと話しかけてきた。


ぬ『ネックレス色変わっちゃうよ、塩分強いからね。』

私「そうなんですか?あ、でも、そんなに高価な物じゃないし大丈夫かな。」


こんな風にたまたま居合わせた人と会話が生まれた時、私には、どんなに年配の方に対してもタメ語をつかってみるところがある。失礼か、そうでないか、のギリギリのラインを、世代を超えた親しみを込めた交流をしてみたい!という名目の元、チャレンジ精神に基づきしている行動だ。相手の反応によって、「あ、やめとこ。」と思ったり、「あ、大丈夫。」となったりする。できるだけ規則やルールに縛られたくない。自分と目の前の相手に対して、余計な思考が入る隙のない、自然な湧き上がる感情に任せて、今この瞬間の会話を楽しみたい、そんなことを思っての試みなのである。


ぬるま湯に浸かっているおばあちゃまと時折タメ語を使ったまま会話がつづく。


私 「お肌ツルツルですね!」

ぬ 『あたし?ガッサガサよ!』

私  (くすくす笑) 

私 「毎日入られに来るんですか?」

ぬ 『うん。もうかれこれ46年。46年経っちゃったんだなぁ〜。』

私「結婚されて、熱海に来たんですか?」

ぬ 『うううん。逃げてきたのよ。』


私 「…… 逃げてきたん、だ。」


それから他愛もないことを話して、なんとなく会話は終わっていった。

この人は一体何から逃げてきたのだろう?何から逃げて、46年、この地で暮らし続けることを選んだのだろう。

46年、と呟いた彼女の顔に悲壮感は微塵も感じられなかった。今を生きている、そこに何の過去も持ち込んでいない清々しさや凛としたものが裸の彼女の周りには漂っていた。彼女の纏う美しいエネルギーが、温泉の湯を通して、私の肌にまで浸透してくるようであった。


その後、この方に「スゲー!」と言われていた熱い方に入っていたおばあちゃまと二人になり、会話が生まれた。


熱 「旅行で来たの?」

私 『はい。知人の家をお借りしてひと月ほど滞在する予定なんです。』

熱 「そうなんだ。」


この方は、さっきのおばあちゃまより、おっとりとした雰囲気である。


私 『走り湯温泉来てみたかったんです。伊豆山神社のお参りで足が疲れちゃって、。』

熱 「ここはいいよ。温泉だからね。」

私 『ほんと、超気持ちいいです!』


先ほどのおばあちゃまとの会話が良かったからといって、この方とも良い会話ができるとは、期待していなかった。ただ、私が思っていたのは、''この方の笑顔は可愛いな、''ということだった。その後、会話は意外な方へと向かった。そしてそれは、全く予想外のものだった。


熱 『ひと月いるなら車借りてさ、ドライブしたらいいんじゃない?色んなとこ周ってさ。』

私 「そうですね。それは楽しそうですね。」

免許が無いため不可能ではあるが、そうしたら本当に楽しそう、という思いでそう答えた。


会話は続く。


熱 『あたしなんてさ、毎年海外の色んなとこ月単位で旅行に行ってるよ。車運転してね。』

私 「、、、え?!(超驚き)」


誠に勝手ではあるが、その方は見るからに、70代、いや80代か、といった年齢で、熱海で晩年の日々を静かに送っているお年寄りの印象をもって話をしていたため、よもや、海外を飛び回っている、まして、月単位、さらに、車でドライブ、といった発想が生まれる予感は私の中に皆無だったため、目を丸くしてしまった。


私 「すごい!素敵!今までどんな国に行かれたんですか?」

熱 『   ……   』


耳が遠いのか、湯舟から出ると、私の問いかけが聞こえていないようで、返事が返ってこなかった。すると私も、今問いかけた言葉は、返事をもらう必要のないものだったような気がしてくる。もう一度同じ問いかけをしようとは思わなかった。


熱 『若い人たちもいっぱい。日本人もいるよー。』

などと、その後もその方からの言葉は続いた。


''いい話が聞けたな、''という、ふわっとした優しく温かな気持ちが私の胸には広がっていた。この方との会話から、誰が見てもおばあちゃんと言われるであろう年齢になろうと、自分次第で海外を飛び回って生きることも選べるのだという、大きな希望が自分のなかに芽生えたことを感じていた。


私 「そろそろ熱さの限界なので上がります。」

熱 『ふふふ。じゃあね〜。』


時間にしたら、ものの30分ほどの話だ。

人生初のひとり暮らしが、東京のワンルームマンションの一室などではない、熱海の古民家という粋な環境を与えられ、好奇心にまかせて入った地元の温泉で、偶然居合わせた美しい人生の先輩方とこのような自然な会話ができた喜び。

ひとりでじっくり自分と向き合う時間は確かに人生の転換期に必要だとも思うが、束の間の人との触れ合い。会話が連れて行ってくれる、想像を超えた想像の旅ができたことは、ひとりでは決して得られない、奇跡のような体験であった。



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ひとりひとりにある人生という名のストーリー。私はやっぱりそこに興味があるのだ。束の間の一期一会の出会いと別れから得られたものは、私の人生に活かされている。それはきっと、これまでと変わらずこれからも続いていくのだろう。出会う人すべてに感謝していきたい。



参考記事   随筆   ↓↓↓

https://blog.hatena.ne.jp/like_nanohana/like-lily.hateblo.jp/edit?entry=26006613666008324





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