私はいま、意味もなく安心している。
春を想う暖かさに触れたからだろうか。それとも、昨夜寝る前に、星の王子様24章を朗読したからだろうか。もしくは、再び時が来た人生の大きなターニングポイントに、自分の意思ひとつで行動を起こせたことが理由だろうか。
目に見えない大事なものを信じ続けて早4年。4年というものの、以前このブログ内でも言ったことがあるのだが、2020年は時空の歪みに消えた1年だった気がしているので、実質3年。喜びと哀しみが交互に織り成す、感情という心の波へと勇気と共にダイブしては、その度に、この世界のすべてを満たしている愛について深く学んだ。それは同時に、自分という存在を深く知ることとなり、右往左往せざるを得ない場面も少なからずあったものの、たった今感じている、この大きな安心という大海へと確かに全ては流れていたことを実感している。
神様の時間調整でもなんでもなかった。願望実現までのタイムラグでもない。私は生まれてくる前から決めていたのだ。忘れていただけで、怖がっていただけで、ただその時がくる日まで、自作自演の物語を生きていただけ。
私はそのことを自覚できたけど、まだ自覚してないけど、その時が来る日までの今を生きている人もいっぱいいるんじゃないかな?人生最高のあの日、という瞬間がある人にならきっと。
''ダメな時は死んじゃえばいいや、''って、本気の本気で思えたら、チャレンジしない道を選ぶ選択肢なんてあるわけ無い。
人間である以上、エゴがあるのだ。死にたくない!死なせたくない!その生存本能が、真実の本能の発動を邪魔してくる。それを超えていくには、愛という海にダイブしつづけるしかない。怖がりながらでも、生まれてきたことの手応えを掴むために、一歩ずつ前へ。後ろは振り返らない。ただそう決めるだけ。
安という漢字の成り立ちについて話したい。家を現しているウ冠の中に、女がある。家の中で女がくつろいでいる様子から、安らかという意味を表しているそうだ。つまり、家に女がいるというだけで、そこは安心の場所となる。男が外の世界で戦い疲れて帰って来る場所には、くつろいでいる女という存在があるということ。
すべての安心の源には、女が在る。女の仕事は存在そのものである。
これからの人生、女に生まれた私の仕事は存在のみ。いつでも最高の安心の源でいられるよう、くつろいでいたいと思う。
可愛い神猿さま🐵