シュリ日和

まいにちに生きる

晴れた




やっと太陽が拝めて有り難い日曜日の昼下がり。さっそく公園で、本日の一投入魂🔥動画『晴れたー』を撮影。動画投稿直後から空模様に異変が。10分も経たないうちに、まさかの雨がポツポツ降り出した。雨足は強くなる一方。『これはもしや、私のせいなんじゃ、、』と、軽く責任を感じる。

晴れて嬉しい気持ちを爆発させた途端に雨って、、(笑)気持ちが強すぎたのかな?多分単純に大気が不安定なだけなんだろうけど、それにしてもタイミングがよすぎた。まあ、また今は晴れてきたからよかったけど。


ブログも、動画も、エネルギーがのってる時しかできない。あまり思考をつかっていない。ほとんどが思いつき。緻密に計算して企画を練り上げて形にしていく人とか、ほんと、私から見たら神。今思うと信じられないけれど、昔の私は、完璧主義なところがあった。凄いな、って思う人と常に自分を比べては、自分は全然ダメだから、完璧なものがつくれないなら、何もやらない方がいい。それか、頭の中だけでやった気になって、結局何もやれてない、なんていうこともよくあった。その頃は、スピリチュアルにも目覚めてなかったし、思いっきり幻想世界に翻弄されるように生きていたから、仕方ないけれど、人と比べて自分を卑下していた時は、苦しかったなぁ。自分のいいところを知らなかったのだ。

いや、子どもの頃は違った。親からは何の期待もされてなかったし、褒められることもなかったけれど、自分は自分のことを肯定していた。私は仕切り屋だったし、人気もあった。理由は、明るくて元気だったからだと思う(単純!)全盛期だった小4の頃、超めずらしく熱を出して休んだ日、友達が誕生日プレゼントならぬ、お見舞いプレゼントを持ってみんなで家まで見舞いに来てくれたことがあった。漫画やシャーペンやお菓子やなんか色々と。凄く嬉しかったから今でもよく覚えている。自分で言うのもあれだけど、お見舞いプレゼントもらったことある人はかなり少ないんじゃないかな?人望はあったのだと思う。あの頃のことを思い返すと、みんなのためにクラスを盛り上げる動きを率先してやってたから、出した愛に対して返ってくるものも大きかったのかもしれない。私自身も、あの頃は楽しかったって、はっきり記憶があるから、うまく回ってたんだろうな。

翌年、クラス替えと担任が変わった、小学5年生が私の人生における最初のターニングポイントだった。その時の担任に虐められたことで、私の自尊心と自己肯定感は破壊され、その後の人生展開に多大な影響が及んだことは、間違いない事実だ。

今はそんな長く抱えてきたトラウマもすっかり乗り越えたから、当時のことを俯瞰して検証することもできるのだが、あの時もっとロックな自分が自分の内側から飛び出して、担任に噛みつくことができてたらな~って思うと、やっぱりちょっと悔しさが込み上げる。味方なんていなくとも、自分が自分の声でshoutできてたら、ジメジメした気分も吹っ飛んで、心はスカッとしたはずだ。

そう、私は今この瞬間、スカッとしたい!何もかも投げ捨てて、この身ひとつで果てしない地平線に向かって、叫びながら走り出したい。そんな衝動に駆られている。こんな本能が溢れてくるということは、いい状態なんだと思う。生きてると言えそうだ。退屈だ。暴れだしたい。走れば落ち着くかな?

みんな何を思って今を生きているんだろう?


生き生きとしていた、小4の頃の自分に、私はまた会えるのだろうか。

山本太郎は言っていた。メロリンQをやっていた16歳の頃の自分を超えたいと。彼に恥ずかしくない自分を生きたいと。


そうだよね。あの頃の自分に褒めてもらえるような生き方をしたいよね。何も考えず、思いっきり生を爆発させてたあの頃の自分にもう一度笑ってもらいたいよね。私たちは、一旦壊された人生を自分の手に取り戻したんだから、本当は何だってできるはずなんだ。


できるはずなんだよ。





アシリパさんカッコいい😭✨