シュリ日和

まいにちに生きる

2月9日




寝れない。

こんなこと久しぶりだ。冬眠する動物のように、よくこんな長時間寝れるなぁ〜…と自分でも感心してしまうほど、この冬はよく寝ていた。だから、たまに寝れなくたって大したことないじゃないか、と思いながらも、やっぱり一日寝れないだけでも、正直なんだかすっきりしない気持ちもあり、こうしてブログに逃げ込んでいる。


実は昨日、生き神様に会ってきた。約一年越しに会うことを選んだのが今日だったのだ。本物は違う。『初めまして!』の挨拶をして、ほんの二言三言交わしたあとに、クリティカルヒットの質問を投げてくる。…なんでだろう?やっぱり分かるってことだろうか?しかも、何でもないような軽やかさで来るから、面食らう間もなく、私もすっと話し出してしまう。すっと話し出してしまったことで、ずっと抑えていた気持ちが次から次へと溢れてきてしまい、気づいたら誰にも明かすつもりのなかった想いをすっかり打ち明けてしまっていた。そして、泣き出す。(嗚呼…いい歳して恥ずかしいなぁ。)

でも、すっごく素直な気持ちが口に出せて、正直とても有難かった。いつも言葉にできない想いを言葉にできたことが嬉しかったし、それを誰かに聞いてもらえて、さらには、優しい言葉もかけてもらえるなんて、私はほんとに恵まれてるんだな、そう感じた。多分言わせてもらったんだと思う。無自覚だったが、あの瞬間、私は人を頼ったんだと思う。そして、この手法(相手に投げかけずして言わせる)は、人間を信頼している人にしかできない。やり方が一流。そりゃあ、生き神様だもの。


小さな頃から、いちばん大事な想いは、言葉にできなかった。言ノ葉として口から音として吐き出すことができなかった。

ただ一言、「寂しい」とか、「助けて」とか、「そばにいて欲しい」とか、言えていたのなら、きっと今の私はいない。あの頃から変わらない自分。その自分が今日言葉にできた想いは、とても清らかなものだった。だからって、外から見たら何も変わってないだろうけど、内側は僅かでも変化が起きたのかもしれない。教えてもらったお祈りを今日から続けてみたいと思っている。


話は変わるが、私はスノーボード選手の平野歩夢君の大ファンなのだが、まさに今日、オリンピックの予選で見事な滑りを披露してくれて、感動させてもらった。ただただ、彼がこの世に生まれてきてくれて、スノーボードというスポーツを極めてくれて、その姿を見せてくれてることに、感謝が溢れてくる。歩夢君ありがとう!

オリンピックに関しては、最近は、平和の祭典と銘打った悪の祭典だから、絶対見ない!という人をSNS上でたまに見かけるが、それって半分だと思うんだよなぁー。

平和と悪というまた二元論を持ち出して、選手丸ごと拒否は、勿体ないと思ってしまう。だって、カッコいいものはカッコいいのだから。オリンピックがあったからこそ、あの姿が見れて、自分には絶対できない事をやってくれる同じ地球人仲間に感動を与えてもらえる機会に、私はそれがある間は感謝したい。ゆくゆくは、自然に淘汰されるだろうし、大きな視点で見た時には、悪と見えるものすら、すべては愛の化身だ。…なーんて、また考えなくてもいいようなことをついつい考えてしまう。

とにかく、歩夢君がカッコいいことは、誰がなんと言おうと私の世界では正義だ。これからも、彼がどんな男に育ち、どんな素敵な女性と出会い、素敵な家庭をつくってゆくのかを勝手に温かい目で見守っていきたい。

(って、まだ予選ww)


空が白白と明けてきている。

ブログがあって良かった。






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街角に春