シュリ日和

まいにちに生きる

確かな光

 

 

 

すっかり忘れていたが、昨日2022年7月22日は、このブログ''シュリ日和''の開設2年記念日だった。前作の''朱里日記''(+朱里日記2)を開設してから数えると、3年経つ。

ひとつのことをカタチに残しながらここまで続けてこれたことは、自分の人生のなかで初めての快挙と言っていいだろう。

思いがけず、自分から最高のプレゼントを受け取った気分。

気づけなかっただけで、奇跡はいつもこんな風にさりげなく起きていたのかもしれない。

 

今思い返すと、最初の頃は、それまでの人生の自叙伝的な話や、長年自分の中に蓄積させてきた、行き場を与えることのできなかった思いの丈を勢いよく放出していた期間だった。連続投稿期間は100日を超えてたんじゃないかな。毎日書きたいことが泉のように溢れていた。それくらい、自分の中に閉じ込めてきた想いは多かったんだと思う。徐々に自分のペースで日記のようなカタチに移行し、魂の目覚め的なスピリチュアルな体験談や、大好きな詩や、写真なども交えて、今日までブログを続けてこれた自分のことを本当に誇らしく思う。ありがとう、私。

……でもね、最近私はすこし大人になれたのか、こういった自分がやってきたことの全ては、大いなる存在が力を貸してくれて、やらせてもらえていたのではないだろうか、そんな風に思えるようになった。

ブログを始めるキッカケを与えてくれた人との出会いがあり、背中を押してもらえる出来事が起き、自分が本当に望む生き方へとシフトするには、それなりの時間がかかったようにも思う。

だけど、時間という幻想のなかで、感情という人間に与えられた宝のような引いては満ちる水的要素に翻弄されながら、交わった人たちと共に、風に舞う木の葉のように踊り続けていた小さな自分という存在が、今、愛おしくてたまらない。

 

いつでも私はその時いたパラレルを全力で生きてきた。それだけは確かなのだ。

 

永遠に続く安心を手に入れたくて必死に答えを探し求めていた遠き日の自分こそが確かな答えであったと、3年間続けてきた好きなことから学べた。

それは決して誰かから与えてもらうことはできなかっただろう。

そして、自分が自分に与え続けた愛は、同じように生きていた大切な人の心と、虹のように繋がっていたことを感じられている。

それは、目に見えないのに、夜空にキラキラと輝く小さな星のように絶え間なく私の心で光を放ちつづけている。この光は誰からも奪われることはない。私だけの唯一の光だから。

 

今日は最高に気分のいい朝を迎えた。理由はわからなかったけど、神様からのお祝いだったのかもしれない。

 

私はもう確かな光を見つけた。

 

だから、今度はあなたがあなたの光を見つける旅を照らす、道標となる光となって在りたい。

 

 

 

 

あなただけの光を