シュリ日和

まいにちに生きる

笑ってほしかった

 

 

懐かしい友だちが夢に出てきてから、ずっと懐かしい世界にいる。

 

昨日は、酷い食あたりを起こして死にかけた。変なものを食べてしまったのは自分なので、自業自得だ。今後二度と変なものに手を出さないように自らを戒めようと思う。

 

中学の時の運動会と水泳大会のことを唐突に思い出した。

中3の時、クラスで2枠しかない女子の応援団をジャンケンで勝ち取った。当時売れていたB′zのBAD COMMUNICATIONと、レベッカNOKKOの奇跡のウェディングマーチを私たちは踊ったのだが、私はB′zに興味はなく、更にはBAD COMMUNICATIONという選曲も謎に思っていた。3年だったのだから、自分たちの代が多分選んだんだろうけど、誰があの曲を推したのかは全く思い出せない。NOKKOの奇跡のウェディングマーチは好きだった。歌詞が可愛かった。なんとなく振り付けすら薄ら思い出せそうな気がする。他のクラスの仲良かったわけではない子に、私の動きを『キレがあって良かった』と褒められたことも憶えている。

 

私はA組でクラスカラーは赤だった。Bが白でCが黄色でDが水色でEが緑でFがオレンジでGが紫でHはピンクだった。赤で良かったと思う。私は短距離は自信があったが、一番不人気だった長距離走に出場した。理由は、誰もやりたがらなかったからだ。誰もやりたがらないものを決めるのに時間がかかることが嫌だったし、みんなに救世主として感謝されることが嬉しかったのかもしれない。結果は16人中9位という、やった甲斐もない順位に終わった。とりあえず期待されてなかったから気は楽だったけど、しんどい思いをして損な役回りだな、なんて心の中では思っていた。

 

男子の応援団は学ランでカッコよかったんだよなぁ〜。応援団長をやった子を一瞬好きだった時期があって、また再燃するかと思いきや、そうはならなかった。あの頃、好きな子がいなきゃダメかな?と思って、好きになろうとしたことは多かったけど、本当に好きになった人なんていなかった。私はいつも、''男女みんなで仲良くしたい''と思っていたけど、なかなかそれは難しい望みだった。

 

水泳大会の時も、4種混合リレーに選ばれたけど、唯一私が泳げなかったバタフライを、泳げる奴がやりたくないと言ったから、私が引き受けた。泳げないのに、だ。勝負よりその子は自分がやりたいものをやる方を選んだんだからしょうがない。案の定、溺れかけながら必死に20Mまで泳いだ私は、最後の5Mを平泳ぎでゴールした。勝負は捨てて笑いに走った。自分の精一杯でやったんだから、責められる筋合いはあるまい。平泳ぎでゴールした私をクラスメイトたちは笑顔で受け入れてくれた。あの時ほんとに嬉しかったんだよな。みんなが笑ってくれたから。私はいつもみんなに笑って欲しかったんだ。ただそれだけだった。

 

今、暖炉の焚き火の映像とアメイジング・グレイスiPhoneから流れている。アメイジング・グレイスが好きだ。心が洗われるような気分になれるから。天から祝福の光が降り注いでいるような、清らかな気持ちになれるから。天使たちが優しい空を楽しそうに飛んでいるような、人間の私を包み込んでくれているような、そんな安心した気持ちになれるから。

 

もう一度やり直せないかな?あの頃から。もう一度やり直せるなら、私は思い切り自分のために恋もしたいし、自分のためにワガママに生きたい。みんなに笑って欲しかった、みんなの笑顔が見たかった健気な私のことを好きだと言ってくれる人と仲良くしたい。拒絶したものを自分から全部受け取りにいく道を選びたい。私が世界になる生き方を自分で掴み取りたい。

 

そんな気持ちになる、立冬前の独りの静かな夜だ。

 

 

 

 

私を連れて