シュリ日和

まいにちに生きる

孤独

 

 

 

夏の終わりだからか、いま私は孤独だ。

つい何日か前は、野球が9回裏ツーアウトからなら、夏はここからが本番!なんて、明るい気分で思った日もあったけど、そんなの風に流れてく雲のごとくすぐに過ぎ去っていった。きっとこの孤独は夏の終わりのせい。そういうことにしてやり過ごそうと思ってる。

 

今年の8月は、ほぼほぼ誰とも会わない日々で、こんなにも誰とも接触しないことはいつ以来だろう?なんて考えたけど、もしかしたら、初めてのことかもしれない。それくらいには一人だった。

この状況を創り出したのは紛れもなく私の思考で、望みが現実に反映し始めている。この国では、一日中マスクをせずに生活できている人はまだかなり少ないと思う(自主的にしたい人は除く)が、私はいまその超少数派に属している。単純に身体にとっていいことを選べてるから(というのも私の主観)、自分としては満足だ。皮肉なことに、社会との距離が遠くなっている分、自然との距離は近くなっている。そのことだけを見た時に、生きてることは歓びであると、心底思う。

孤独にも色んな種類があるけど、私がいま感じている孤独は、周りに誰もいなくなってしまった淋しさに近い気がする。それは、物理的にという意味だけでなく、何かを知ってしまったことで失った、かつての自分と他者のいた世界から自然と離れたことによって感じている孤独だと思う。(うまく説明できているだろうか。自信が無いけれど。。)

何かや誰かを信じている時はいい。その信じたいものがある世界に身を置いてる時はしあわせだ。だけど、信じる世界そのものを生きるということはそれとは違う。自分が世界になった瞬間、この世に生まれてきた時と同じようにきっと孤独なのだ。自分が新しく産み出した世界の登場人物はまだ自分以外誰もいないから。世界にたった一人。それが今だということ。

だから、正直いま私はこれから自分がどうやって生きていくかがまるでわからない。わからないから不安になろうと思えばすぐなれる。だけど、この自分が創造した世界で自分がどうなっていくかをすでに知っている、という感覚だけは、妙にリアルに自分の内にあり、その想いの強さはいつも現実の不安を勝る。そして、孤独と言いながらも、目に見えない存在が常に私の傍にいて守ってくれていることを感じられてもいる。その存在たちはみんないつも楽しそうに笑ってて、私の人間的な不安になどまったく興味も無いようで、頼もしい。

焦点を何に合わせるか?

意識を何に向けるか?

それが大事だ。焦点を合わせた途端、意識を向けた途端、ズレてたピントは合い、軌道修正される。その繰り返し。進んでないように見えても、螺旋状にちょっとずつ上に上がっている。今までもそうやって、気づかない内に進んできたのだ。そして、その気づかずに没頭していた時こそ、自分がやりたいことをやっていた時だったってことが今ならわかる。

辛く苦しい想いも沢山したけど、それがなければよかったとは思わない。どんな経験も必要だったから起きた。自分のことを愛せなかった(愛されていると思えなかった)時は、いつも先回りして経験を避けた。傷つかないように、傷つけないように、頭で考えて守りに入った。その頃は、自分ひとりで頑張って生きてると思い上がっていたのだろう。支配社会に毒され生まれたぐるぐる思考は、自分を支配し、人をも支配しようとしていたのかもしれない。

愛を実感できていないのに、外側の世界に現れる人と愛し合うことは本質的に不可能だ。愛そのものとして存在するものを、愛ではないと顕在意識のなかで抵抗していながら、どうして自分以外を愛すことができるものか。この矛盾だけは相容れない。

目の前に置かれたものに、傷つくことも恐れずに全身全霊で応えることができるようになったのは、自分は愛されていると感じられるようになってきたからだ。そしてそこには、本当に自分を愛してくれる存在がいたから。愛される存在であることを少しずつ受け入れることができ始めたのは、ずっと愛を感じられていたからだった。

これから必ず、精神世界と現実世界が重なり合う時がくる。だから、やりたいと思ったことはなるべくすぐにやりたい。そのこと自体が意味を成さなくても、何か大切な源流に繋がってる気がするから。それに、自分が何かをやりたいと思ったことも、大いなる存在からそう思わされてる可能性があるから。まあ、だからYouTubeもやってみたんだけど、とりあえず今はフリーズ。急にまたやりたくなったらやると思う。もうやりたくならない可能性もある。人に勇気を与えたいから続けたい、という大義名分を打ち出したことは嘘ではない。でも、勇気を与えたいのやり方は、もっと自分を生かした別のものがある気がしている。多分、今までと主導権が切り替わったんだと思う。今の私の主導権を握っているのは、完全に未来の私だ。信頼して委ねてみたいと思っている。

 

下書きに保存している記事が二つある。タイトルは、宝石。もう一つは、愛か愛ではないか。(今回ちょっと言及してしまった)果たしてアップできるだろうか。まだわからない。

 

最近目覚める前に受け取った八大龍王のメッセージから、八大龍王龍神水龍の型という儀式を知り、覚えた。超怪しくて怖がられそうだけど、やってて面白いから誰かにやってあげたい。途中、『えぇい!!!』って気合い入れて叫ぶのとか、真面目なのかふざけてんのかわからない、紙一重具合がたまらない。龍神の王様のエネルギーが入ったら結構凄そうだと思うんだよなぁ〜。こういうこと一緒にやって遊べる仲間が集まってくるような、そういうことを始めてみたい。私は私のファンが欲しい訳ではなく、私の創造のファンが欲しい。

あ、たった今閃いたんだけど、''夢をただ語る会''とかやりたい。夢を叶えるとなると、宇宙原理に目覚めてない人にとってはハードル高いから、まずは、叶えたい夢をただただ氣分よく好き勝手に話すだけの会をやってみたい。趣旨がそもそも、目的があるものじゃないからきっと気楽でいい。夢を見る歓びって波動高いから、その時間を定期的に設けることにより、結果、ほんとに夢も叶ったわ!ってなったら面白くないかな?しかも、みんなでやることでエネルギーは倍増して、歓びで繋がりあった人とは、その後も関係が続くことも一応狙って。

…なーんて、こういうこと考えてる時って、ほんとに楽しい。楽しさは正義。みんなでしあわせを広げてくイメージを描くことは、天性のキラキラ師の私の得意とするところなのだ。

 

最後に、唐突だけど現時点でのお金に対する私なりの考え。

 

'' お金はあってもなくても死なない ''

 

 

 

 

 

ある日の落書き✒️