シュリ日和

まいにちに生きる

最上級の愛


クリスマスも終わったので、一気に年の瀬感が高まってきた。冬至がある意味、新年ぽさもあったから、私の体感的には既にプレ2023年が始まっている。もう次の年へは持ち越せない色んなネガティブ要素が浮かび上がってきて、最後の浄化を終えたところ。それでも2月3日の節分までは、2022年のエネルギーも混在しているだろうから、まだ何が起きるかわからない。それでもわかっていることは、悪いことはもう起きない。なぜなら、私の心が平安を得たからだ。

最大のクリスマスプレゼントを自分の行動という体験として受けとった。プレゼントって人から物質として受け取るものと思い込んでいたけど、自分からもらうプレゼントほど価値あるものはない。結局自分を小さな檻に閉じ込め続けてきたのは、自分だったんだなぁ〜って、実感。

人が人と出会う理由は自分自身と出会うためで、そんなことはとっくにわかってたつもりだったけど、過去に、友人へと伝えた怒りという愛は、今になってあれは自分へのメッセージでもあったんだな、て気づかされている。正直胸が痛い。あの時友人へと吐いた捨て台詞は、『誇り高い〇〇でいて欲しかっただけ。』というものだった。私は私に、誇り高い自分であって欲しかったのだ!

時を経てそのことが今わかったことは、なんと言うか天からのギフトのように感じた。

自分が発した言葉は、一言一句自分へと還ってくる。だから言葉には気をつけなければ…という思いを大事にしすぎて、その時々に感じる自分の気持ちを曖昧に、あやふやに、蔑ろにしてきたツケは思った以上に大きかった。

どんな感情も、その時の正直な気持ちなら吐き出す他ない。それが自分に返ってくるとしてもだ。…って言うか、多分他者へ向けて吐き出したりぶつけたりすると自分へと跳ね返ってくるけど、自分ひとりでその作業をすれば問題ない。湧き出してくる感情は、自分にはもう必要が無くなったものなのだから、素直に手放す。怒りでも哀しみでも寂しさでも痛みでも嫉妬でも、湧いて出したら終わる。出さないと終わらない。気づいただけで終わるって言う人もいるけど、紙でも音声でも何でもいいから、吐き出す作業はした方がいいと思う。その方がわかりやすくスッキリするから。大きいもの(例えば過去生からのものや、集合無意識的なものや、他人のものや、先祖のものなど…)であれば、その作業はもしかしたら一回では終わらないかもしれないけれど、その時は気が済むまでやればいい。気が済んでもまたその次元、周波数、パラレルと繋がってしまうと、モヤモヤした感情が出てくるはずだから、その時はまた吐き出す。そうやって、その都度要らないものを浄化して本来の自分を取り戻す。そうすることで、何度でもピカピカの産まれたての自分と出会い直せる。怖いことに飛び込まないとなかなかそのことに気づけないから、怖いことに飛び込む勇気はやっぱり自分のためと思ってえいやっと、気合いをいれて出していくことが重要ポイント!すべては自分への愛だから。そして、自分への愛とは、自分に繋がる全ての存在への愛となる。

バシャールが、''見捨てるという最上級の愛''という話をしている動画を過去に観たことがある。見捨てるということが最上級の愛とは、なかなか理解するのに時間がかかったが、今ならわかる。

人は大事なものを失って初めて、大事なものに気づくことがあるから

見捨てられることで、その人は大切なことに気づくことができる。それは、最上級の愛の贈り物だということなんだろう。

私は女だ。見てくれは小さいからか、いかにも女性らしく見られがちだが、中身はわりと厳しいところがある。あまり優しくはない。本当にその人のためになることとはなんだろうか?とよく考える。言っても分からなそう(素直に聞かなそうな人)な場合、痛い目にあって落ち込んだ時にちゃんと支えてやればいい、と考えて、普段は敢えて必要以上に寄り添うことはしない。その人がその人の力で乗り越える姿を見守りたいと思っている。そして、そのことに対してはだいぶ自信がついてきたので、2023年からは、そんな風に一人で頑張ってきた私を見守って支えてくれる人が傍に居たらいいな、と思ったので、神様へと伝えた。愛は循環する。男は女を愛し(与える)、女は自分を愛する(受け取る)という基本の流れを抑えることが出来さえすれば、うまくいくのだろう。宇宙の法則、自然の摂理、人間の可能性。

これから撒いた無数の種が芽を出す瞬間を、ひとつひとつ見届けるパーティータイムが始まる。

ずいぶんと長いこと待たせてしまったけど、ずっと見守ってきてくれたことに、心からありがとうを伝えたい。

 

 

すべてが愛だ