シュリ日和

まいにちに生きる

悔しさ

 

ちがう。何かがちがう。何かはわからないけど、ずれてる。それはわかってる。

 

今思い出したことを話したい。

私が死ぬほど悔しかったこと。

それは、私が愛を切実に必要としていた女を、心の底から愛した時(恋愛ではない愛で)女たちは私の愛を利用した。たった一人、癒されて自分の命に目覚めた人はいたが、それはたった一人だけだった。

私が大嫌いな女たちは、女からではなく、男から愛を受け取ることだけを求めていた。男から特別な愛を受け取ることだけを求め、それを達成しようと周りの人間のひとりひとりを見ようとも感じようともせず、全ての人間は自分のために存在しているかのような思考で生きていた。それはきっと、彼女たちの父親(母親)との関係に何らかの問題があることは、今となれば察するに易いが、友達だと思っていた私にとって、それは深い哀しみや傷となった。

私の愛は必要とされない。私の愛は無意味。私の愛は、、、。

ここで言う私とは、私のなかの男性性だ。私の男性性は女によって傷つけられてきた。そのことにより、簡単には埋められない虚しさが胸のなかに広がり続けた。

自分さえ幸せになれればいい。

そう潜在的に思ってる人はすぐにわかる。人の幸せを心から祝福できない人は、顔や動きや声に現れる。隠しきれないものが浮き彫りになる。

自分は幸せにならなければならない。それは、自分の幸せはすべての人の幸せとひとつだから。

生きてきた中でつくった傷やトラウマは、自分を絶対に幸せにしないために自らが仕掛けた呪縛のようなもの。罪悪感を刻みつけ、喜劇ではなく、悲劇の主人公を演じ続けるための罠だ。私は前述の彼女たちが悲劇のヒロインを演じ続けることが許せなかった。悲劇のヒロインは男を利用できるから、くだらないエゴで他の女に勝ったとか、上にいるとか、そういう感情を味わえるから。前世(その人のものだけでなく集合意識上のものも含めて)の焼き増しのような生き方を続けることで、自分を絶対に幸せにしないことに心底軽蔑していた。

最後は決まり文句のように、私は人として欠落している。と言うことも、欠落に全部押し付けてさぞかし楽でいいよなバカヤロー!心の中でそう叫んでいた。

私が本当に伝えたかったことは、''幸せになりなよ''それだけだったのに。

私は今、過去の自分に苦しめられている。乗り越えたと思っていたのに、完全には乗り越えられていないことがある。自分の存在をありのまま赦せていない自分に気づいている。絶対に大丈夫だと、心では確信していてもなお、出てくるかもしれない感情を恐れて行動できないことで、人脈や金脈の流れを遮っていることも自覚している。これは私がつくった問題だから、一人で解決するしかない。

 

''幸せになりなよ''


それはきっと、私から私へのメッセージだ。彼女たちが悪いんじゃない。寧ろ、彼女たちが教えてくれていたのかも知れない。愛は正義ではないことを。

愛のために私がしたいことは一体何なのだろう。どうしてもこんな自分でしかいられない私を、『大丈夫だよ、シュリの気持ちはわかってるよ。』そう、受けとめてくれる男の存在を必要としている。

 

負けたくない。

 

性を売り物にして生き延びたくなどない。性を売り物にして男に仕返ししている女や、性を売り物にすることでしか、女の自分の価値を感じられない女や、そういう女に金にしか見られていない男を終わらせたい。性を売り物にして女に仕返ししている男や、性を売り物にすることでしか、男の自分の価値を感じられない男や、そういう男に金にしか見られていない女を終わらせたい。

自分には力がないと思い込み、生きることを諦めて馬鹿な男の支配下で暮らす女や、家族のために身を粉にして働き尽くしながらも、奥さんからは全く異性として見られずに、浮気されたり、アイドルに夢中になられてしまう男や、虐待から逃げられない子どもたちや、一見普通の家庭に潜む闇に侵されて、自分が何をしたいのかわからなくなっている若者たちや、、、

 

そういう全部に責任を感じている。


私の愛は私を幸せにしない。その呪いは自分で解くしかない。

いっぱいいっぱい味わってきた悔しさを、全部優しさで包み込んでくれる人が傍にいてくれたら、どんなにいいだろう。私がただの女に還って、泣き言を安心して吐き出させてくれる自分以外の誰かと繋がりたい。『もう頑張んないでいいよ。』って嘘でもいいから笑って言って欲しい。そして、その時だけでも、そうだよねって、笑い合いたい。安心を感じさせてくれる人が私は好きだ。安心感があって始めて発揮できる自分がいる。今の私はちょっと優しい言葉をかけられたら、簡単に恋に落ちるだろうなぁという危うさがある。

 

私の父親は、よく突然怒鳴った。言いたいことをその場で言わず、溜め込んで溜め込んで爆発させることがよくあった。小さかった私はそれがただただ怖くて、父親の怒鳴り声の記憶により、大人になってからも、大きい声を近くで聞くと、条件反射のように身体がビクッと反応する。その幼少期の経験からの影響は大きく、男を怒らせることに対する恐怖心がある。だいぶ克服したと思いながらも、完全には払拭できていない。

 

好きな人から、そのあなたは好きだけど、このあなたは受け入れられない。そういう態度をずっと示されてきた。なんとなくわかるけど、正直どっちもその瞬間の私だ。魂的な私と人間的な私の違いってだけだと思う。理想を言うなら、それがピタっと一致したらいいとは思う。だけど、それは簡単なことではない。簡単なんだろうけど、それができてる人は一体どれだけいるだろう?男性性とか女性性の問題がこの世からなくなった時には、みんなが自然とそうなってると思う。まだまだ一回壊された人間の再起の過程にある。私は悪くない。全部がありのままの私だ。そう思えるようになった自分を愛そう。

 

ずっと強くなんていられないよ、人間だから。支え合って生きている生き物だから。

 

子守唄のように優しく自分に言って聞かせている。

 

 

雪柳のように白く