時は2020年9月
わたしの人生史上、最高の秋が始まった今である。
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朱里日記、朱里日記2とブログをリニューアルして続けてきましたが、今回、ただのわたしに着地したことで、人間の自分を生きるまいにちを日記として書き残したく、更には、人の役に立つ記事を心がけながら、新たに再開することにしました。
はじめまして!のあなたも、ご無沙汰してます!のあなたも、これからご贔屓によろしくお願いします。
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8月が終わり、約10日ほどですっかり夏の禊も終え、安定した日々を過ごしている。
9月になって起きた大きな出来事としては、生まれてこのかた喧嘩ひとつしたことなど無かった7つ上の実姉を電話越しにギャン泣きさせてしまうという、できればずっと避けておきたかった事態を起こしてしまった。
何をしたかと言うと、''本音を伝えた''
ただそれだけ。
実はわたしはずっと我慢していたのである。
責任感の強い家族思いの頑張り屋の姉の尊厳を保つため、本来の自分らしくない、甘え役の、頼りない、いつまでも弱い妹を演じ続けてきたことに、遂に限界がきて爆発した。
誰かを傷つけないように、傷つけないようにと、振る舞い続けた付けがこれだ。
結局傷つけることになるのなら、最初から我慢などすべきでは無かったのかもしれない。
姉は想像だにしなかったわたしからの叱責に、驚き、思いもよらない感情が溢れ出したようだった。
嗚咽しながらも、必死に想いを伝える彼女はまるで昔から知るかわいい妹のようだった。
そう、わたしたちは役割を必死に演じてたんだと思う。魂に沿って生きるのであれば、わたしの方が姉で、姉の方が妹であったなら、スムーズだった気がするのだ。その方がお互い無理なく本来の自分らしく接することができ、楽だったはず。
恐らくこういったボタンの欠け違い的現象は、そこここで、日常茶飯事起きているのではないだろうか。
大事なことは、こうだったらよかったのに、、ということに目を向けるのではなく、こうだったからこそ、思いやりを学べたことや、忍耐力が鍛えられたことや、時が来て、無意味な我慢をやめて本音をぶつけ合って和解できたことに価値を見出す。
欠け違ったからこそ、のすべてだ。
2019年の元旦に見た初夢のなかで、わたしは誰かに向かって『大丈夫です。誰にもわたしの人生に口出しはさせないんで。』と、物凄く堂々と、はっきりとした口調で宣言していた。
泣きじゃくる姉と話しながら、冷静に、何にも揺らがない確固たる信念を抱き生きている自分を感じつつ、その時のことを思い出していた。
姉が暴走してくれたおかげで、結果的に、本音が言い合えてよかったし、いまの自分がこんなにも芯がブレず強くなったことを実感でき、ありがたかった。
ただ、姉はわたしと初めてこんなに分かり合えたことを喜んだのに対して、わたしは、もう二度とこの世で会えなくても悔いはないな、、と感じていた。
すでに生きている世界が違うのである。
シュリ日和では、シュピリチュアル(スピリチュアルのオリジナル解釈)な内容にも力を入れていきたいと考えている。
ここからは、誰かの役に立つものを意識的に目指したい。
わたしという存在を自ら活かしていく。
わたしにはもうそれをやれる自信があるし、できる確信しかない。
あなたという存在に光をあてていきたい。
まだやり方こそ見つかっていないが、これからやりたいことがどんどん泉のように溢れてくる気がしている。(すでに何年越しの構想はいくつもある)
これからは、自分の太陽を輝かせて生きる時代らしいから、なんとなくそれに乗っかって、さり気なく''しあわせの虹の架け橋''となって活動していきたい。
すべては時が来たらはじまる。
freedom🧚♀️