シュリ日和

まいにちに生きる

しあわせの坩堝




わけもなくしあわせ。

今わたしは、しあわせの坩堝にいる。

『いいことあったのですか?』

聞かれていないが答えよう。

あったというか、あるのだと思う。永続的に、いいことは起き続けていると感じているということが坩堝に生きている証であろう。



そう言えば、全然ブログを更新していなかった。運命の夏に集中していたかと言うと、まぁそんなこともなく、8月前半はわりと淡々と日々を送っていた。

わたしにはライフワークと呼べる心のしごとがある。そう、シュピリチュアル文献の纏め作業だ。地味で地道で孤独なしごと。やってることは、ひたすらに、己の心に正直に生きているかを問い続けること。今を生きる自分への感謝として。



美しく生きたい。



そんな希望がある限り、続いていくのだと思う。職業としてひとつのことをやり続け、成し遂げることができなかったわたしにとって、シュピリチュアル文献というものが、いつの日か、誰かのためになることを祈りながら、心を込めて作り上げていきたい。まだまだ、しっちゃかめっちゃかだけど、過去生から受け継いだルーツ等もアイテムとして使ったりしながら、今を生きる生身のわたしが経験から得た教えを、後世へと語り継げるように。ネイティブ・アメリカンは、7世代先まで考えて行動するという。7世代. . .すぐに想像力に限界が、、笑。素晴らしい先人たちの生き様を手本にして、自分にできる範囲で誠実に粛々と行っていく。暇という概念が消え去った今、例え傍から見て、どんなに暇そうに見えたとしても、常に自分との真剣勝負を生きている。このような生き甲斐を見つけることのできたわたしは、きっとしあわせ者なのだ。



言葉で説明するのは難しいのだけれど、自分が愛する世界を生きていると、現れるすべての存在は協力者に思えてくる。勝手に味方を増やす。恵みを発見する。ひとりだけどひとりじゃない。孤独でも冷たくはない。つまり、夏はまだ始まったばかりだということ。(ほんと一人プレーでごめんなさい。笑)



こんなわたしの戯言に付き合ってくれているあなたは、器の大きい人。誰がなんと言おうが、存在価値は無限大。是非ともあなたのライフワークを見つけて欲しい。明日も変わらず生き抜くあなたのために、感謝のしごとを。



ここまで書いて、ほぼほぼ今日のしごとを終えた気分。ハードルを下げに下げた結果、もはやハードルではなくゴム飛びレベルだ。こどもでもできる。しかも楽しみながらね。



料理が好きだ。

最近、食材を買うのに超絶時間をかけている。例えば、野菜ひとつ買う時も、積み上げられた山の中から光る原石の声を聞き取るようにしている。『ワタシが美味しいよ。』手に取り眺める。ほんとに?ほんとにおいしいの?ちゃんと疑う。騙された経験があるからだ。そんなやり取りを経て、やっと買うに至り料理する。本当に美味しかった時はものすごく嬉しい。美味しくなかった時は、やられた、とガックリ。野菜の方も、売れ残りたくなどないから駆け引きしてるのだろう。有機とか、無農薬とか、そういうので選ぶことに何の躊躇もない生活水準の高さであれば、恐らくこんなことしないだろう。こんなことやってる自分がアホみたいに思えて、ちょっと楽しい。野菜も人も鮮度(イキ)の良さが大事。キラッと光る鮮度の良さは、見る目がある人なら、駆け引きなどに騙されることなく、一発で見抜くのだろう。しょっちゅう騙されてるわたしはまだまだ、だということ。当たりの確率を上げていきたい。



今日という旅はこれから始まる。






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朝顔が好き