シュリ日和

まいにちに生きる

生涯

日曜日の朝


わりと家から近く、以前から気になっていた某珈琲チェーン店に、モーニングを求めて、更には、冬の清々しい朝の散歩も兼ねて出かける。


この店の特徴としては、モダンなジャズが流れるシックな内装の落ち着いた雰囲気の店内と、ハンドドリップがこだわり。


通された席は、個室風な空間に8卓16席が並んでいた。


壁面に飾られたモネの画集が目についた。


一杯420円のブレンド珈琲の味は、最近飲んだ珈琲のなかでも、非常に美味しかった。

コストパフォーマンスはかなり高い。


ここの店に似たメニュー構成のK珈琲店ブレンドより、10円安く、なおかつ味も数段上で、満足度も高かった。


美味しかったし満足度は高かったのに、何故だろう。また来たいとはあまり思わなかった。


ひとつの視点から言うなら、それは、どんなに美味しい料理が作れても、一緒に食べる人がいない時の気持ちに近い気がした。

ひとりで満足はできる。

けれど、それ以上も以下もない。

わたしは、それ以上やそれ以下というものを大事にしたいのかもしれない。


創業40年の純喫茶に勤めている者としては、働いている人に魅力があってほしい。

この店で働く人の誰ひとり、印象に残る人がいなかった。

どんなに目に見えるところが新しく小綺麗でも、伝わってくるものがない空々しさは、また来たい、という気持ちを生まない。

わたしは、店としての一体感を、人と空間と味など、全体の空気で感じたいのだ。


正直に言って、珈琲の味自体、わたしのいる店と比べて遜色はない。むしろ、好みとしてはこの店の味の方が好きだった。(絶対ここだけの話!)


けれど、わたしはうちの店長が淹れてくれた珈琲が飲みたい。店長が珈琲を淹れる所作なら何度も見たい。山崎先輩のいらっしゃいませ!なら、毎日でも聞きたいし、孝太郎さんの盛りつけの美しさにいつも感動したいし、チーフの生け花から伝わってくるメッセージと存在感を心で感じ取りたいし、マスターがお店に足を運んでくれるお客さんを楽しませるためにこだわる、粋な仕掛けに思いを馳せたい。


わたしにとって、そこには、天と地ほどの違いがある。

そして、わたしが働くあの店にまた行きたいと思うのだ。


明日、友人が自身が働く店を間借りして一日喫茶を開催する。

わたしは、彼女のことが大好きだし、そのお店にも行ったことがあるし、また行きたいと思わせてくれるお店なので、顔を出そうと考えている。

多分、それ以上や以下を求めて行くのだと思う。


これから先、自分が心から気持ちよく生きれる世界を創っていくためには、わたしの好きな人たちから学んだことを参考にするのだと思う。


自分がいちばん大事にしたいことは、自分にしかわからない。

わたしの好きな人たちが、その存在を通して教えてくれたことを、生涯大切にしていきたいと思う。




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百合に学ぶ