シュリ日和

まいにちに生きる

次を見据えて


体調不良がぶり返し、強制的に身動きを制御されている。

脱皮の時期を迎えているのか、はたまた、蠍座の満月の影響もあるのかもしれない。ピンクムーンの名に相応しい大きなピンクがかったお月様を連日空に拝むことができた。ありがたや〜。その美しさに思わず立ち止まり、しばらくのあいだ見惚れてしまった。


体調が悪くなると、途端に思考がマイナスに働きだし、安定を欠く。普段なら下らない動画を見て単純にケラケラ笑えるものの、笑いたいという意欲すら湧かない。


そんな時は、調子がいい時には忘れがちな、毎日涙を流して生きている人へと想いを寄せることができる。このブログを読んでくれている人がいることへも、感謝の気持ちが自然と溢れだす。(いや、もちろん普段から感謝していますw)

同じものを見ていても、調子がいい時の視点と、悪い時の視点は変わる。


わたしが魂の道を歩き出した頃に起きた大きな気づきは、この世の全ての概念は対になっているということだった。そして、その両極のバランスを常に保つこと(禅でいうところの中道)が生きる上でとても重要であるということ。


それを踏まえて言うなら、安定は自分にとっては大事だが、不安定さのなかから見いだせるモノも確かにある。

この不調の今だからこそ、より深く感じられることもあるのだから、表面的な、いいか悪いかだけで、善し悪しの判断はできない。

苦しいのは嫌だが、ずっと調子がいいばかりでは大事なことに気づけない(思い出せない)ことも多く、時折来る不調により、大切なことに気付かされているのだと、とにかく身に起きることはすべて前向きに捉えていきたいと考えている。それができると無駄な今は無くなるからだ。


常に新しく生まれ変わる透明な今を生きたいと思う。


3年ひと区切り。

わたしにとっての今世前半の大きな課題は、忍耐に尽きると思う。忍耐だけはどんどん鍛え上げられていった。でも、忍耐力は、わたしに限らず、日本人全般に備わっている特異な能力のような気もする。堪え忍ぶ心は、大和魂ならではなんじゃなかろうか。

今の現状を見れば一目瞭然。

政府のどんなに理不尽でその場しのぎな政策にも、文句を言わず、堪え忍ぶ人々を見ていると、美徳も度を過ぎると、病気になるのではないだろうか?と、些か心配にもなる。

わたしは、ウィルス云々より酸素不足が深刻なため、もはやマスクは外では着けていない。この新緑の季節の盛りに、緑から供給される瑞々しい酸素を体内に取り込まないで、どうやって免疫が上げられるものか、わからない気持ちもあるからだ。

マスク生活がスタンダードとなり、既に、自分の顔を忘れ始めてる人が現れてきている気もする。マスクが無くちゃ怖くて外に出れない心理状態は、ウィルス問題を超えて、自分の顔を人前に晒すことに対する恐怖に刷り変わってきてもいるんじゃないだろうか?

これってかなり末期症状なんじゃないかな。表情がわからない相手とコミュニケーションを深めるのは相当困難だと思う。誰が何を信じようが自由ではあるが、正直わたしは、昨年からの騒動のほとんど全部が嘘だろうな、と今では結論を出した。これまでわたし自身が抱いてきた世の中の疑問点のひとつひとつを線で結んだことと、わたしが信じたい人の発言や行動に基づき出した結論だ。


堪え忍ぶ心は本来のあるべき姿で発揮したい。霊性の成長として必要不可欠な大事な要素も、黙って悪用されるのならば、正当な拒絶を発動することも然りだと思う。


あれ?なんでこんな話になったんだっけ?結論とか言ったけど、あくまでも現時点での、という話。


しかし、自分を愛するって、ほんとに難しい。ほんとに難しいけど、自分を愛し尽くして初めてわかることがある気がして、今はひたすら自分とだけ向き合っている。物事には段階があって、わたしはいまここにいる。

この次の段階に必ず行きたいから、最後の自力の使い所だと思って、頑張ってみようと思う。




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夕空に映える