シュリ日和

まいにちに生きる

欲張っていこう



思った通り、昨日に負けず劣らずの暑さの今日である。


仕事を終え、帰り道を歩く途中、職場近くの団地のなかのお弁当屋さんを思い出す。

そのお店は、ほぼ330円で、約5~6種類のお弁当を提供しており、先日、同じ団地内の安い八百屋で買い物したついでに初めて買ってみたところ、素晴らしいクオリティで感動したのだった。

青山のおしゃれカフェランチは取り止め。

330円弁当で感動再び!に予定を変更した。


まず、330円という金額設定にも頭が上がらないのだが、作り置きはしておらず、注文が入ってからお店の人が目の前でフライパンを煽ってライブで作り上げていく様が店頭で見られる点において、この店には、他店にはない魅力がある。

安さが売りのスーパー内のお弁当も、金額だけ見ればさほど変わらない値段でお弁当を出してる店も最近では増えたが、やはり、作り手の顔が見える食べ物が食べれることの喜びは、わたしにとっては、とっても意味がある。

ごく普通の主婦のような雰囲気の方が、ごく普通のお母さんがしてそうな柄物のエプロンをつけて熱い厨房内で一生懸命お弁当を作っている。笑顔で気持ち良く『ありがとうございました!』と言って手渡されるお弁当には、おしゃれカフェには到底真似できない温もりがある。


'' わたしも頑張って生きよう''

そんな気持ちにさせてもらえることの有難みをこの店の330円のお弁当からは受け取れる。


貧乏自慢を同情を引くためにする人の心理としては、貧乏を自分の思う通りにならない現実の言い訳に使っていることは、想像にかたくないが、まあ、それって誰が聞いても楽しくもなければ、何の得にもならないから、ほんとに貧乏を自慢するのであれば、お金に余裕がなかったからこそ、こういう些細なことにも感動できたんだよ、的なエピソードとして語りたい。


わたしがもしもこの先の人生で、突然大金持ちになったとしたら、その時の自分は、今のこの気持ちを簡単に忘れてしまうのだろうか?

そこに興味がある。

お金に余裕が無かった時には食べれなかった、高級なものをいつも食べたいと思うようになるのだろうか?行ったこともないような高級店に通いだしたりするのだろうか?330円のお弁当屋さんのお弁当を食べることなんて、しなくなるのだろうか?


それはその時にならなければわからない。

いまの時点ではもちろん想像しかできないのだが、こういう視点はいつも自分の中にもっていたいものだな、と思う。


よく、''誰でも今すぐしあわせになれる方法''なんて、本のタイトルのような言葉を目にすることがあるが、ぶっちゃけその方法って、心の持ちよう的な説明にとどまっていて、具体的な事例は見かけない。

だからわたしは多分その具体的な事例をここでシェアしたいんだと思う。

たとえば、日常のこういう場面で、こういうことを考えて、こういう行動を選ぶと、こんなしあわせを感じられたりするんですよ、的なこと。

日常における、すっごいちっさな正直どうでもいいようなことにこそ、重きを置くことで、自分の一日って華やぐ。

『ああ、今日もちっさなことで笑えたなぁ〜とか、下んないことばっか考えてたな。』なんてことに気づくだけで、ちょっとふふってなったりして。


だから、目標を立てて、それを達成するために努力することが苦手な人は、もっと良くならなければ!とか思わなくていいと思う。それが得意な人と自分を比べてガッカリしなくたって大丈夫だよ。


この話と関係あるのかどうかわからないけれど、ジャストなう、公園のベンチでこの文章を書いているわたしの目の前で、小2くらいの少年が木登りした木の上で、セリーヌ・ディオンの' My Heart Will Go On 'を口づさんでいる。小2がセリーヌ・ディオンて…笑

考えられるのは、先月金曜ロードショーで放映されていたタイタニックを観た影響だろうか?


小さなしあわせに目を向けると、こんな平和な光景が現実に映し出される。

たとえ今、隣の国で戦争をしていようと、ウィルス兵器に怯え恐怖に支配されてる人がいようとも、その光景を見ている瞬間は、確かにわたしの心は平和だ。

小さなことを積み重ねて平和な現実を持続的に創り出していきたい。






f:id:like_nanohana:20210611163605j:plain


おしゃれカフェ…そうでも無かった

(誰かキレのいい突っ込みプリーズ!笑)