シュリ日和

まいにちに生きる

1月26日




ついにYouTubeに動画をアップした。

半年間の準備期間が小さな自信に育ったため、自分への感謝の気持ちで、えいやっ!って思い切れた。もう私は笑われる準備も、馬鹿にされる準備もできているのだ。それでもやっぱり恥ずかしいー!!しかも、何の編集もできないし、アプリカメラの動画機能を使っているため1回5分縛りだし、なんか思いつきでちゃんねる名も決めちゃったし、なんで今日始めたのかわからないし、とにかく突発的すぎる行動に自分でもびっくり。だけど、このブログを見てくれている人には、見てもらいたい。文章や写真や詩だけで、私の世界観を支持してくれているあなたには、超勝手に元気をあげたい。YouTuberを目指している訳では無いが、私独自の視点から発信できることを自分自身の中に見出していきたい。できるだけ毎日アップできるように取り組んでいくつもりだ。YouTuber同士でコラボ動画などやってる人たちがいるが、そちらは登録者数〇〇人以上とかルールがあるようなので、こちらはルールの発生しない、登録者数限りなく少ない人たち同士で、ほとんど人目に触れないところで自由気ままに楽しくコラボ動画できないかなぁ〜?なんて、登録者数0人の段階で想像している。私ってなんてしあわせなんでしょう。笑笑

ただね、ここには大きな大きな希望があるのです。

今までの常識の真逆を行くことで、定説をひっくり返し、新しい定説を創っていく流れにもっていきたいという思惑があるのだ。

YouTubeの世界の話で言うなら、これまでは、登録者数が多い人が勝ち組。影響力の大きい人が注目の的。みんなの憧れを一身に受け止める役割をする人は有名になった。ヒカキンの発想はとても純粋な好奇心から生まれていて、老若男女に受け入れられ、瞬く間に人気者に。ヒカキンもきっと当初は楽しかったろう。けれど思う。あれだけの人気者になってしまった故に失ったものも、人の比じゃなく多い気がする。広告になる案件を受けざるを得ない状況になっていくことは、人気者の宿命のようなもので、人知れぬ苦しさもそこにはあるのではないだろうか?まあ、本人に聞いてみなきゃ(聞いても)本当のところはわからないけど。

誰かの存在を大きなものにしているのは、人のエネルギーだと思う。特定の人が爆発的に売れる時に起きていることは、その人に注目が集まるように情報も加担しているのだろう。

私は思う。その、これまで特定の人に流れていたエネルギーをひとりひとりが自分に流す流れにもっていけないだろうか?才能を発揮した人が注目されるのは当然だ。魅力に人は集まるから。だけど、みんなに元気を与えてくれる人が注目されることで自由を失ってしまうのって、果たして良いことなのだろうか?そこに愛は循環しているだろうか?

これは私独自の視点だと思うのだが、例えば私が好きな人の動画を見て、チャンネル登録したくなったり、いいね!したくなった時、私は発信者から愛を受け取ったと考える。そのお礼として、いいね!をしたり、チャンネル登録をする。愛を受け取ったからお礼をしている。ただ、そこで終了した場合、愛は循環していない。受け取ったのなら、自分から渡す行為に繋げなければ循環は起きない。一見、いいね!やチャンネル登録が渡す行為と思うかもしれないが、これはすべて、発信者側が愛を渡した結果、愛が返ってきたというだけであり、受信者側には何も起きていない。つまり、発信者から受け取った愛に習って、何かしら自分から愛を渡す行為を興さなければ、自分へと愛が返ってくることはない。循環が生まれないということ。どんなに些細なことでも、他者から『ありがとう。』を言ってもらえるような行為を自分から興すことで、自分へと愛は返ってくる。そして、そういう小さなひとつひとつが、自分を生きる確かな自信になっていく。愛は力だ。

YouTubeという媒体がいつまで続くかはわからないが、才能を簡単に発揮できるようになる方法を身につけるにはどうしたらいいか?という、地に足のついた自分の経験で身につけたやり方をこれから提唱していきたい。

たったひとりでもいい。私の真剣な想いが届き、自分には何もない。何もできない。と思い込んでしまっている人ほど、何らかのカタチで魅力開花に繋げる手だてに役立ててもらえたら、それほど嬉しいことはない。


それには、私が本気で自分を楽しむことだ。

人生はプラクティス!

生涯チャレンジャー!


📺スーパーしゅりちゃんねる📺

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I'm fine♡