シュリ日和

まいにちに生きる

テレポーテーション




立春大吉


最近ほんとによく眠れる。そして、ずっと夢を見ている。今日見た夢は、果たして夢だったのかどうか、自分でもよく分からない。

私は夢のなかで、かつて働いていた店の人と共に、あの頃と変わらぬ様子でお店で仕事をしており、突然思い出したように『今っていつ?何月何日?!』と、隣にいた仲間に聞いた。すると、聞かれた相手は『2016年6月10日だよ。』と、はっきりと答えたのだ。その年月日は、夢に登場した店と仲間と共に当時働いていた頃とピタリと当てはまる。これって、もしかしてテレポーテーション?意識が夢のなかでその時と繋がったということだろうか。こんな不思議な夢を見たのは初めてのことだった。

私が子供のころテレビでやっていた、''エスパー魔美''(藤子不二雄F先生の漫画)というアニメは大好きでよく観ていた。オープニングのテーマ曲の、テレポーテーション🎶というフレーズが印象深い。気になって調べたらYouTubeですぐ聞けた。歌詞がすごい!『ピンクの噂が2人を近づけ~🎶』とか、『私だけが~私の恋を~あぁ~未確認🎶』だって!エスパー魔美って恋愛もののアニメだったのだろうか?内容はまったく憶えてないけど。エスパーという超能力を使えながらも、ひとりの人間の女の子としては、恋にはお手上げといったところかしら?!う〜ん…ちょっと深いかも。

ここからは私の仮説。自分の意識次元が低いと、闇のパワーの支配により、本来の能力を発揮することができない(生まれ変わる度にカルマを重ね続けてきてしまった)が故に、これまでの世界では、超能力が使える世界線に生きれる人は、ほんのひと握りの限られた人のみだった。そういった人たちは、世界の真相に気づくのが早く、それをある意味うまく活用し、支配社会の中でも、うまく規制を掻い潜り、あらゆる表現活動を発揮する場を見つけ(例えば、漫画や映画や絵画や音楽など)そこで真実を発信し続けてきたのではないだろうか?

ほんとうは、すべての人間には超能力が備わっており、それをつかえば簡単に望みは叶うようになっていて、それでもそれに気づいてしまっては、地球という現場を生きるには物足りなさも生まれることを知っていて、眠り続けることこそが、この地球の楽しみ方だと潜在的にか意図的にか、感じてる人も少なくない気もする。

私は、早くに気づいて表現活動をしてきてくれた人達に感謝したい。感動という体験をさせてもらえたからだ。

私が今もし超能力が使える世界線に一瞬でいけるとわかったとしても、それを選ぶかどうかは私次第であり、簡単にテレポーテーションできてしまっては、やはり一日一日の有難みを、早送りで感じきれずに過ぎてしまっては、本末転倒な気がする。何よりも今この瞬間、自分が自分の足で立つことのできる大地との繋がりが大切なのではないか?エスパー魔美が、超能力がつかえようとも、人間の女の子として恋にはお手上げ状態(決めつけてしまいました、笑)になれることにこそ、生まれてきたことの意味が隠されてるのではないか?

そのように思った。


私は人生にときめきを求めたい。死ぬまで何かにときめいていたい。その感情を感じきるためには、人間である必要がある。人間として生きる道無き道を、あの光を標として、心というものの手入れを怠らずに、歩いていこうと考えている。






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道に落ちてた赤い毛糸の帽子🧶