シュリ日和

まいにちに生きる

魂のお医者さんに免許はいらない

 

ブログを始めてから過去一長いタイトルをつけた。この言葉がふっと、頭に浮かんだから。


実は今日は奇跡の出会いがあった。

出会い方も導きとしか思えなかったし(だから今この仕事をしていて、こういう働き方を選んでるんだと、腹落ちした)こんな話、初対面の人と普通はできないっしょ!というような、かなり際どい話題ばかりをその人と私はお互いに出し合って、2時間くらいノンストップで喋り倒した。

その人は、もちろん人を見て話してますよ、と言っていたし、私だって、流石に空気くらい読むから、あくまでも相手がその人だったから大丈夫だろうと確信して触れた話題もたくさんあった。

私は人が、現世で体験した運命的な出来事の話を聞くのが大好きで、そんなことある?!って信じられないような奇跡の連続が起こる人には起こっていることを知ることは、なんと言うか感動するし、未来とか希望とか、そっちに意識を向かせてくれる感じがすることもほんとに有難く感じる。

水面下ではもう新たなストーリーが動き出してることには薄々気づいてはいたが、今日この人と出会ってさらに確信した。始まっていることを。

誰かに話したい、この感動を。共有したい。この世には使命というお役目を果たすべき人が少数だが確実にいることを。そして、私もまたその一人であることを。

私は、この、使命やお役目というものにはトラップがあると思っている。大きなお役目がある人は、過去世で成し遂げられなかった使命を今世こそは果たそうとしてしまうことがあるのではないか?

これは恐らくカルマがパターン化しているのだろう。私も何となく身に覚えがあるから他人事ではない。

けれど、私は気づいた。

今生の私の使命やお役目は、シュリという今世限定のこの人が主体にならなければ、生まれ変わった意味など無いことに。

過去世で成し遂げられなかった使命とは、先祖から受け継いだ家系主体のものであり、今ここに生きる私がそれを受け継ぐ義務などないのだ。家系の末裔である私だから(乱暴に言ってしまうと、子供たちは家系とは無縁)余計にそっちに引っ張られてしまう感覚はずっと自分にあった。そして、そのことがこの私(シュリ)を苦しめてもきた。成し遂げられなかった使命やお役目があったとしても、命ある間に完結できなかったことならば、それはもうそこまでだったのだ。それが、何代も何代も沢山の家系の人達が生まれ変わっては、無念の思いを受け継いで引き継いで繋いできてしまった。大事なことは、やり方やパターンを継承するのではなく、やり方やパターンを刷新することだ。私が好きなように自由に私を生きることで、完成する世界こそが、新たな人類史の始まり。

最期のインディゴの宿命として、破壊と再生の役割を担っていることは間違いないだろう。だから、激しい葛藤があったのも仕方はない。

でもね、私はシュリを生ききると決めた。

先祖も家系の無念も全部あたしがこの地球で、私の好きな世界を創ることで昇華させてやっからみんな天国でちゃんと見てろよ!!!全く新しいやり方でやってやるからな!!!

そんな意気込みだ。

今日出会った人から、大量のハーブを譲り受けた。ハーブはこれから心身を病んだ人間に必要不可欠な薬として当たり前に認知され機能する日が来ると確信している。このことは、日本では今はまだ公には言わない方がいい気もするし、一般的にはあくまでも、アロマテラピー的なテラピーどまりの認識でいてもらった方が良い気もしているから、まあ、時が来るまではまずは知識を深めておくことに損はないだろう。…な〜んて言っても、医療大麻も広める運動をしてる人も増えてきてるし、ほんとに今は瀬戸際なんだと思っている。

タイトルの魂のお医者さんに免許はいらない。は、この話からきている。そう、全ての仕事には本来免許や資格なんていらないはずだ。

もしも緊急事態で赤ちゃんが産まれそうという時に、医者がいなくて、自分しか助ける人間がいないとしたら、何としてでも、この世に誕生しようとしている命を救おうとするでしょう。そういうことだと思う。火事場の馬鹿力って、人間の本能のことだ。本能が機能すればそれは仕事として成り立つ。それが発動しないなら死んでんだよ。私は生きたいし生きるよ。生まれようとしている命は絶対に助けたいから。

生きる理由はそれだけでもいい。

そして、私はもう自己完結では終わらない。繋がり合うべき人と助け合ったり、協力し合って乱世を生き抜く。自分の人生の責任は自分にある。ずっと、自分がどう在りたいか?を大切にしたいと思ってきたけど、それは大切にするまでもなくなった。私は私を生きているとはっきり言えるようになったから。

刷新して前へ進むためには、自分の意思が必要だと思う。私はこう生きたい!その心の決意や指針が自分を導き、道を切り拓いていく。奇跡のように美しい御来光は山を登った人間にしか見れない。だから、山は登らなくてはいけない。生まれてきたということは、山を登りたかったからだ。自分の意志で、自分の足で、一歩ずつ前へ歩みを進めることの喜びを分かち合いたかったから。その自由が今世にはある。それはもうチャンスでしかないだろう。視界がクリアになってゆく。

何もかもを刷新したい。病気は必ず治るということを広めていきたい。正直な気持ちを言う。病気の人は病気でいたいだけだ。痛みも苦しみも、身から出た錆のようなものだ。そんな幻想に負けないで欲しい。自分の命を取り戻して欲しい。生まれ変わると覚悟して欲しい。あなたを生きれるのは、今を生きているあなた以外にいないのだ。また生まれ変わったとしても、もうあなたがあなたを生きるチャンスはその時にはこない。チャンスは今世のあなたに与えられている。生かすも殺すもあなたが決められる。

どうか、命を生かしてください。

私からの一生に一度のお願いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時計の針がまた動き出す