シュリ日和

まいにちに生きる

愛し愛されつづけていく



シュタイナー(教育)の考え方が好きだった人から聞いた話を唐突に思い出した。

 

こどもにも死ぬ権利がある

 

娘が3年通った幼稚園は、幼児教育という名の心理学を、先生もこどもも親も、心と身体全部でそれぞれが学ぶ(学ばされる)という特殊な園だった。

地面が土のままの園庭には鶏小屋があり、園舎は園庭を囲むように平屋の長造りのようなつくりになっていて、昔の人の暮らしをカタチから見事に再現していた。

こどもたちは通常の幼稚園のクラス分けとは違い、鳥類の名前がついた組(部屋)の中に、年少、年中、年長の3世代に、お母さん代わりの先生1人が入る、6人ほどの小さなファミリーがいくつかあることで、1クラスが形成されていた。

年長にはひとり年少さんが男女ばらばらでセット組みされ、その子のお世話をする。相性がいい組みもあれば、最悪な組みもあったりして、それぞれの親子が悩みながらも乗り越えていく様子が園のなかでは毎日繰り広げられていた。

今考えても凄いと思うのが、木工細工など創作好きのこどものために、木材がその辺に散らばっているのだが、同時に釘なんかもバラバラそこかしこに落ちていて、こどもはそれを好きに拾って何か自由に作ったりできたのだが、なかにはケンカして、釘をケンカ相手の目の前に向け、刺す素振りをする子なんかもいて、それを先生が恐らく丹田辺りに力を込め、じっと見守るという姿勢でこどもと対峙していたこと。

こどもを信じて見守ることは、並大抵な気合いじゃできない。

その子がそれをしたらいけないとわかっていることを信じること。その子自身が怒りを鎮めていく過程をじっと耐えるように見守ること。そのこども自身がその体験から大事なことを学んでいく力があると信じ抜くこと…。

私たち(大人)は誰しも押し並べて未熟だった。

だから、毎日自由に生きるこどもたちから大事なことを学んでいた。こどもにも自由に生きて自由に死ぬ権利があり、それを未然に防ぐような子育ては親のエゴでしかない。

愛すること。ただ今この瞬間愛すること。あなたがどれだけ大事な存在か伝え続けること。それしかできないのだ。

だから、愛する人が生きていてくれることは奇跡でしかないし、なんなら死んでも愛は死なないし生きつづけてしまう。死んだ方にはきっと関係ない。生きてる方にはその人の存在が必要だから愛しつづける。想いつづける。勝手に愛しつづけさせてもらってる。生きつづけさせてもらってる。そっと忘れることが本当の供養だとしても、忘れられないのは命を生きてる自分には愛が必要だから。

だから私にはまだあなたが必要だ。


なんか今日の私はそんなことを思ってる。

 

本当に大切な人と出会ったなら、愛する力は育つ。信じて見守る力は育つ。私の愛は育ってきている。愛は時空を超えて届く。かならずひとすじの光のように愛する人を照らす。今この瞬間も。

 

全力で愛しても愛し足りないくらいの気持ちで、全力で愛されても愛され足りないくらいの想いで、この生を全うしたい。

 

 

 

 

祈りつづけている