6月がはじまった。
昨日から妙に淋しくて悲しくてどうしようもない心模様。もうすこし丁寧に表現するとしたら、今はそばにいない、代わりのいない誰かを愛おしく想う時、ひとりの寂しさが、心の奥深くに沁みいる。その孤独特有の寂しさはきっと私だけのものではなく、相手と共有しているからこその特別な感情で、その感情から離れずに大切にその一点を見つめ続けていると、シアワセとは、常に心の内にただ在るものだということを思い出せる。
もしも、こんな気持ちを、ずっと感じながら生きられるとしたら、それこそが、私が今ここに生きていることの、これからも生きていくことの希望そのものだなぁ〜と、そんなことを胸のなかで、何度も何度も反芻していた。
シアワセか、不幸か。
それはもう、シアワセしかないのだろう。
だって、何が不幸かと言うとしたら、そんな風に愛おしく想う唯一の存在がいないことだから。そんな存在がいる私は、どんな瞬間もシアワセでしかないのだ。この想いに潔く降参してしまえば、人生のどんな天気の日も、等しく愛でることができるだろう。誰かと共にいようといまいと、孤独には変わりがない。寧ろ、共にいるほど、孤独を突きつけられるだろう。人間として生きている間は、本当にはひとつになることは不可能なのだから。だからこそ、共にいることの尊さというものがあるのだろう。これから先には希望しかない。夢とか使命とか壮大なものを語っている時は、そんな私らしい思想からは、離れている時だったのかもしれないな。それも含めて、どんな状態の自分も、少し俯瞰して優しく見守る気持ちでそばにいてあげれたら、赤ちゃんが思いのままに生きる姿を見て安心するように、心のなかに安心を抱ける気がした。
2022年6月2日 朝
いまの気持ち
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君の思想を
何も語らない
静かな君の眼差しから
推し量る
深淵なる君